衆議院議員選挙、与党の自民党と公明党が大敗したということでニュースになっていますね。
さて、今回の選挙が決まってから、改めて感じた違和感。
通勤途中で。
昼休みにテレビから流れてくるニュースで。
そうだそうだ、いつもそうだ。
「なんだこれ・・・。」
皆さんも同様に感じられているものなんでしょうか。
それとも恒例の景色として普通に流れてい光景なんでしょうか。
例えば、立候補者が選挙カーに乗っていようが、路上に立っていようが同じなのですが。
めいっぱいの笑顔で当たり前に手を振ってくるのは何なのでしょう。
こちらが何の反応を示せなくても、
大音量のマイクで「ありがとうございます!」「ありがとうございます!」
自分の支援者かどうかもわからない相手に、何の感情の交換もしたことのない相手に
そんなのお構いなしに、どこどこどこっと入ってくる感じ。
気持ちの良さよりも馴れ馴れしい図々しさを感じるといいますか・・・。
誰に対してもついつい良い顔をしてしまいがちな性格の私ですら、妙な気持ち悪さを感じるのです。
どうしても手を振り返す気持ちになれないまま通り過ぎ、徐々に好感よりも苛立ちにも似た感情がわいてくるのです。
そして、ニュースで流れてくる街頭演説、選挙運動も素直に受け取れない場面ありませんか?
お涙頂戴的なの、結構ないですか?
いわゆる『切り取り報道』なのかもしれないですが、(私たちにはそれしか見えませんから・・・)
数年前に射殺された元首相の形見を身に付け「彼の魂が宿っているような気がする・・・」云々と語る候補者。
アノォ・・・。それ、私たち国民と何の関係があります?
私たちは候補者と候補者の敬愛する誰かとの思い出話を聞きたいわけではないのです。
お涙頂戴でもなく、ぼんやりと抽象的なことでもなくて、私たちからしたら何をしてくれるのか、具体的な政策が聞きたいのですよ。
こういうの昔からよくありますよね。
元首相の娘さんが立候補したときもそうでしたよね。
なんか違うんだよなぁ・・・・。
素直に受け止められない私がひねくれているのかもしれませんが、こういう見方をしてしまうのは中学生くらいの時だったか、母からこんな話を聞いたことも影響していそうです。
祖母が見かけたそうな。
選挙の前はニコニコへこへこしてたのに、当選後、電車の中で同一人物とは思えないような態度でふんぞり返っていた政治家がいたそうな・・・。
そういう子どもの頃に聞いた「え”っ?!」エピソードに加え、子どもの頃からニュースで定期的に飛び交ってるわけです。『政治と金の問題』がね。
政治家でない人なら直ぐにお縄になる行為も、ある一部の政治家たちはうやむやにできる不思議。たまに捕まる議員は何なんでしょう?しかも有名どころじゃない気が・・・あとは秘書とかね。
なぜですか?
そして何もなかったかのように表に立って活動できる不思議。
えっ・・・?
「やりたい放題できるんだな、政治家って」という印象です。どんなに批判を浴びようが、それを上まわる旨味(逮捕されない。儲かる。)が存分にあるんでしょうね。
「人の噂も七十五日」そんな心持ちなのでしょうか。
実際日常に追われている国民、つまり私も簡単に「あれってどんな事件だっけ?」「誰が話題になってたんだっけ?」「結局どうなったんだっけ?」な状態になってますから強ちはずれてはいないのでしょうね。諺とか慣用句ってよくできてますよねぇ。
といっても、本当にキレイさっぱり消えてなくなるのではないと思うのです。
こういう不信感の積み重ねってちゃんと残っていたりするのです。
モヤッとした嫌~な感覚は澱のようにたまっていくのですよ。
恐らく、言っていることとやっている事の辻褄があわないから、選挙運動期間により違和感がモヤモヤと顔をだすんだと思うのです。
「相手の気持ちはお構いなし」
「その場限り」はいけませんね。
これは政治に限ったことではありませんね。自戒も込めて・・・
ただ忘れてはいけないのは、そういう人たちを選んできているのは私たち国民だということ。
肝に銘じましょう・・・。
そして誰かの思惑が働いたメディアに振舞わされない賢さと、目先の利益に捉われない冷静さを身に付けたいものです。その時々で都合よく態度をコロコロ変える日和見菌のようにではなく信念を持った人になりたいものですね。頑固一徹と言うのではなくてね・・・
過去にこんな記事も書いています。
そもそも解散総選挙って何?と思われたらご参考になさって下さい。